【台中観光】台中の「今と昔」其の一

 

こんにちは!您好!甲飽沒~

ウェンディーツアー新参者です。

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いつの間にかもう夏になりましたね。

先週末から台北ではずっと暑い日が続いてたまりません。

冷房が効いているオフィスに座ったまま、外に出たくない日々です。

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今日は、先日参加した台中日帰りツアーの体験談をお話します。

ちなみに皆さん、台中といえば何を思い浮かべるでしょうか?

グルメなら太陽餅、大腸包小腸でしょう。

観光地なら高美濕地、逢甲夜市でしょう。

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新参者も行く前はこんなふうに思っていたんですが、

実は台中は最近、「昔と今」を凝縮した都市として整備されてきています。

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まずは、「霧峰林家宮保地園区」(略称:霧峰林家花園)を紹介します。

こちらの建築群は清の時代にすでに存在していましたが、

1999年に9月21日に、大地震が発生して、大きな被害を受けました。

2010年のときに再建して、観光地として最近人気が上昇してきたそうです。

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「霧峰」は地名で、昔は阿罩霧エリアと呼ばれていました。

「林家」は日本植民地時代の台湾の五大家族のひとつで、

代々文武両道に秀でる子孫が輩出されています。

特に、林文察からはじまる林家三代の人生だけで、

300年近くの台湾の歴史を語ることができると言われています。

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林家の繁栄というと、清の時代に林文察が台湾の民兵を率いて、

太平天国の乱を収めた際に、亡くなってしまったのですが、

清の朝廷は林文察の武勲を表彰するため、

「太子少保」の爵位を授けて、彼の邸宅に「宮保第」の家号を授けました。

それが「霧峰林家宮保地園区」の名前の由来です。

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屋敷は広く、建物を見てもよくわからない方がいるかも知れませんが

親切なスタッフが日本語で説明してくれるので心強いですね。

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こちらは「德同再造」です。

林文察の長男、林朝棟は台中のすぐ南、彰化で起きた民衆による暴動、

「九緞之亂」を収めたのですが、当時の巡撫・劉銘傳に

「九緞之亂」は主導者を除いて、民衆の罰を許したほうがいい

と進言し、それを認められたので、

「九緞之亂」の彰化の民衆から「德同再造」という扁額を受けたのです。

(意味:林朝棟の徳の高さは我々の命を助けるほど偉大だという比喩)

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また、林朝棟は樟脳を商売し、その範囲を全世界に広げてきました。

それは、まさに林家の全盛期の基礎を築きました。

「霧峰林家花園」の話をし続けたらキリがないように感じるので、

後日、また補足します。

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次は、バナナ新楽園を紹介します。

バナナ新楽園という名前ですが、実は台中の有名なレストランです。

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昭和のレトロ感に溢れて、まるでタイムスリップしたような気がしますね。

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バナナ新楽園の料理も美味しいですよ。

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二階には50.60年代の映画ポスターが貼られています。

とにかくぜひ一度行ってみる価値があるレストランです。

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食事の後は、甘いものなどいかがでしょうか

知名度が高いので、新参者から改めて説明する必要がないと思いますが、

台中のアイスクリームの代名詞、「宮原眼科」という場所に訪れました。

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「宮原眼科」という名前から日本植民地時代の建物で、

眼科医院にすぐ連想することができますが、

上の写真に「台中市衛生院」という文字が見えますでしょうか?

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この建物が建てられた当初は確かに眼科でしたが、

1945年国民政府が台湾に来た後、「台中市衛生院」に変更したらしいです。

しかし、さすがに週末で人の列が蛇のように長いですね。

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以上、台中の「今と昔」その一でした。

続きはまた後日にアップします。

失礼します~